国鉄東海道線大津駅付近の線路跡をたずねる
一枚のテキサス大学図書館が公開している米国陸軍地図局が作成した
地図を持って浜大津界隈の京阪電車の線路の変遷を紹介してきた記事。
これまでに5つの記事に分けて紹介してきました。
京阪京津線の駅跡をたずねるその1~テキサス大学図書館地図より
京阪京津線の駅跡をたずねる(その2)上関寺から大谷へ
京阪石坂線の駅跡をたずねる(その3)浜大津から錦織へ
京阪石坂線の駅跡をたずねる(その4)膳所から石山寺へ
京阪石坂線の駅跡をたずねる(その5)膳所から浜大津へ
今回は、国鉄(JR)の浜大津~膳所~大谷へと通じていた東海道本線の線路跡を
たずねて行きたいと思います。

よろしければ続きをどうぞ。
2009年は東海道本線全通120周年ということで、滋賀県内のJRの駅で
写真パネル展などが行われていました。
大津駅でのパネル展示です。
東海道本線全通までの間、大津~長浜間を結んでいた鉄道連絡船との
乗換駅として今の浜大津駅が国鉄の大津駅となっていました。

このころは、京都方面から来た列車は今の膳所駅で方向を変えて
(スイッチバックして)今の浜大津駅(大津港)へ向かいます。
東海道線全通に伴い、鉄道連絡船は役目を終えました。
しかしながら貨物輸送にはまだしばらく琵琶湖湖上を船が行き交い、
浜大津港発着の貨物取り扱いがありました。
明治36年東海道線全通後の路線地図です。
大津界隈のところの拡大図です。

このころの東海道線は
旧逢坂山隧道を通るルートで京都~大津間を結びます。
大きく南へ迂回するルートであったために所要時間は随分とかかったそうです。
建設当初は長いトンネルを掘る技術が無かったために迂回ルートにて建設し
それでもなお、避けることの出来なかった逢坂山にはトンネルが出来ます。
このトンネルは日本人の手でのみ作り上げたトンネルとして歴史に名を残します。
大正10年8月1日には今の東海道線京都~山科~大津~膳所のルートの
線路が新しく建設されて、線路が切り替えられて現在に至ります。
この辺でようやく本題へ入っていきます。
2009年にJR大津駅で設置された東海道線全通120周年の
記念パネル展での大津駅変遷を説明するパネルです。

同じ地域の部分のテキサス大学図書館の地図です。

Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
2010年の地図です。
大正10年に線路が切り替えられた跡の元の東海道線の線路用地は
名神高速道路深草バス停~蝉丸トンネルの区間がほぼ旧東海道線に
沿ったルートとなり、大津~膳所間は国道1号線となっています。
私自身、調べきれていないのですが、大津市街地を通っていた国道1号が
いつ、今のルートに切り替わったのかが分かりません。
2009年梅小路蒸気機関車館にて行われていた東海道線全通120周年を
記念して、京都・滋賀地区に残っている鉄道構造物・建築物をめぐる資料展が
開催されていました。

その資料展に、東海道線線路切り替え工事の詳細な記録が展示されていました。

大津~膳所付近の様子です。

現在線と旧線とが黄色い線、赤い線で表されています。
テキサス大学図書館の地図の製作年は1945、1946年となっています。
このころは旧線路の跡地はずっと道路への転用の日を待っていたのでしょうか。
旧東海道線の線路敷のところには築堤の記号が地図上に見えます。

Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
2010年の地図です。
地図での変遷をたどったあと、実際の線路を見て行きます。
大津電気軌道(京阪電車石坂線の前身)が路線を開業するにあたり
膳所~浜大津間は国鉄の線路を借用して大津電気軌道の電車を
運行する方法をとります。
国鉄がなくなった後、浜大津~膳所間は土地も線路も京阪電車のものと
なりましたが、この区間、よく見ると国鉄時代の名残が見つけることが出来ます。
琵琶湖湖岸上に線路引いた国鉄の線路。さすがは国鉄と思わせる
一直線の線路が浜大津から石場駅手前まで続いています。


島ノ関駅付近にある小川を越す橋梁には「鉄道省」の製造銘板が
ついている物があります。


浜大津~石場~京阪膳所までの区間、線路敷の土地境界を
示す杭が「工」のマークの入った国鉄タイプのものがあちらこちらに
残っています。
島ノ関駅付近の踏み切り


石場駅ホームから見た側道


参考までに京阪電車の境界杭です。

東海道線全通後は、浜大津~膳所間は短い支線となってしまいました。
石場からは勾配を駆け上がり膳所駅へ線路は向かいます。

ここで、乗り入れていた京阪石坂線(大津電気軌道)の線路とはお別れです。

浜大津からの路線はこの辺りに続いていたようです。
ずっと後年に江若鉄道が乗り入れてきたときにはこのあいているところへ
膳所駅ホームがあったそうです。

東海道線全通前は、この膳所駅で進行方向を変えて、京都方面へ
向かいます。
しばらくは今の東海道線(琵琶湖線)のルートをたどります。
ちょっと膳所駅手前から。

膳所駅を出発します。



左にカーブした線路が曲がりきったあと、線路左手に見えるわずかな空き地が
見えます。

この場所から旧東海道線は左斜めに進んでいって、
ビジネスホテルが立っているところを通り、今の国道一号線の
用地へ向かいます。
現在の東海道線はまっすぐJR大津駅へ向かいます。

さて、大津駅 南側の地図での様子です。

Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
2010年地図です。
国道一号線は大津駅を過ぎて、地図でいうところの逢坂1丁目の信号が
あるところで大きく曲がります。

なんとなく線路敷を利用した緩やかな曲がり具合であることを
改めてこの写真を撮って気がつきました。
カーブを曲がりきったところで道路と旧東海道線の線路敷を分かれます。

写真の奥に見えている商業ビルがあるところの基礎土台に橋梁台が
残っています。
国道1号線を歩いて進んでいって、商業ビルのところまでたどり着きます。
商業ビルの駐車場に入るわけにはいかないので、歩道より
写真をとります。

この場所からカメラを望遠側にめいいっぱい伸ばして
旧逢坂山トンネル東口を望みます。

一直線上にトンネル東口が見えたことにしばらく感動して
熱いものがこみ上げてきました。
さて、この商業ビルの基礎となっている橋脚は、京阪電車
京津線、東海道(街道)をまたぐために設けられたものです。
この京津線と国鉄線路の立体交差の工事が遅れたために
京津線の三条大橋~札の辻間が1本のレールでつながるのに
開業から半年遅れました。
この写真を撮影するために訪れて、いつもは下から眺めている
橋脚を上から初めて眺めることにします。


下から眺めるいつもの橋脚。


京津線の架線を吊る金具でもあったのか、謎の構造物がありました。

国道1号線から商業ビルの土台、橋脚までの間、わずかながら
桜の木が植わっている築堤があります。

この築堤には京津線の線路の沿って流れる小川が
貫いています。


この小川、旧東海道線の築堤を通るときにはレンガ造りのアーチを
中を通ってきます。ガードレールの奥にあります。

もしかして・・・と、このアーチを覗いてみるとねじりまんぽで
あることが分かりました。

音羽台1号橋と国道を管理する銘板がつけられていますが、
線路の下で列車を支えてきたアーチが今、なお、車を支えていることに
感動を覚えました。今までこの構造物があるとは思っても見ませんでした。
余談ですが、ねじりまんぽとは説明するには難しいのですが
れんがをまるで雑巾をしぼるかのように斜めに積み上げていくものです。
京都市蹴上近くにある琵琶湖疏水の水路のところで気軽に観察
出来るねじりまんぽがあります。



この写真の上半分、レンガが斜めになっているところが
ねじりまんぽの特徴です。

最後に話がそれてしまいましたが、
今までは、旧逢坂山隧道東口、上関寺の橋脚・・・と一つ一つ単独で
見てきていました。今回、地図を通して眺めてみることで
2010年の今も残る鉄道構造物が膳所から逢坂山隧道までひとつの
線として私の頭の中で繋がりました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
テキサス大学図書館の地図シリーズはいったんこれで完結とします。
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