阪和線113系 古い写真やキップから
2011年12月11日で阪和線での運転を終了した113系。
最晩年には撮影にいけませんでしたが、いろいろと前にとってきた写真を紹介しています。
今回はフィルムで撮っていた写真をスキャナーで取り込んだのと
記念キップなどを紹介していきます。
よろしければ続きをどうぞ
阪和線の113系電車は1972年に新快速電車が天王寺-和歌山間に設定された
時に、東海道線新快速と同じ色に合わせて登場しました。
キップの裏側には阪和線での新快速電車の時刻が書かれています。
設定当初は途中駅は鳳のみで天王寺~和歌山間を45分で結んでいました。
新快速電車は1970年に国鉄大阪鉄道管理局が設定した種別の列車で
東海道・山陽線の西明石~京都間で運転が始まりました。
1972年の山陽新幹線岡山開業に伴い、東海道・山陽線の新快速電車には
それまで大阪・新大阪から岡山方面へ急行電車として活躍していた153系電車が
白い車体に青い帯を締めたカラーとなって活躍を始めました。
その当時活躍していた153系ブルーライナーです。
運転に先立って試乗会が行われたみたいです。
試乗電車のダイヤがキップの裏側に記載されています。
大阪弁天町にある交通科学博物館で2007年に開催されていた企画展にこの153系
新快速電車のヘッドマークが飾られていました。
東海道・山陽線の新快速電車と同じく活躍を始めた阪和線の新快速。
113系6両編成での活躍でした。
写真は後年、JR宝塚線・福知山線で運転されていた113系6両編成。
阪和線新快速もヘッドマークが付いていました。
阪和線の新快速は鳳のみの停車駅であったのが、後年、停車駅が追加され、
1978年の紀勢線新宮電化の時には天王寺からの紀勢線直通快速が設定された
ときに快速に統一されてしまい、以後、阪和線では見かけることの出来ない種別と
なりました。
113系電車も6両編成であったのが、4両編成となって編成も短くなって今年まで
いろいろと車両の入換はあったものの、活躍を続けてきました。
天王寺駅で発車を待つ113系です。
和歌山駅での113系。
113系には関西本線湊町~奈良間の電化開業に伴って、白い車体に赤い
帯をしめたカラーの電車がありました。こちらは1989年に先にJRになってからの
初めての新型車両221系に置き換えられてしまいました。
1989年には奈良でシルクロード博が開催されたことも置き換えが先駆けて
行われた要因のひとつです。
関西線で使用されていた113系はそのほとんどが阪和線へと活躍の場を
移しました。
この写真を撮った頃には、まだ先頭車に関西線快速の専用ヘッドマークを
取り付ける金具が残っていました。
今であったなら、もっとヘッドマークをつける金具について詳しく観察し、写真を
とっているところなのですが、このときの私は金具を見つけているものの、そこまでの
思いが周らなかったようです。惜しいことをしました。
113系青帯車、JR後もしばらく活躍を続けていましたが、だんだんと天王寺駅に
姿を見せる回数が減ってきました。朝と夕方からの通勤時に限られるようになっていきます。
大学生に入った頃か、鉄道写真のハンドブックに紹介されていた阪和線の
撮影ポイント、浅香駅の大和川橋梁にも出かけていきました。
ここで写真を撮っていると、和歌山線・桜井線で活躍する105系電車が
通過していきました。
すぐあとの電車にて天王寺駅へ目指しましたが、この電車の姿は無く、
天王寺で大和路線電車に乗り換えていくと、王寺駅で105系電車が待避しているのが
分かりました。この当時は阪和貨物線が健在でした。貨物線を使ったみたいです。
話がそれていってしまって、再び阪和線の113系に戻すと、関西空港開港にともなう
ダイヤ改正などにあわせて、きのくに線へ入線できる保安設備を追加搭載された
103系に置き換えられてだんだんと数を減らしていきました。
一時期、きのくに線・和歌山線に入線できる保安設備を追加した103系は
白帯が巻かれて区別されていました。
高架工事前のきのくに線海南駅を走る御坊行き103系です。
こちらは、当時設定のあった、和歌山線五条発和歌山経由の快速天王寺行き。
113系で運転されていたのに、103系に置き換えられてしまいました。
その後も必要最低限の両数で、活躍していた113系も関空紀州路快速の
223系や阪和線内の快速に103系や221系が使われることになると
年々仲間が他の地区へ転用されて減っていきます。
こちらは中間車が嵯峨野線で活躍していた様子です。
細かい話ですが、この中間車はもともとは赤い帯を締めた関西線快速色として
製造された車両でした。
園部方より編成全体を見ます。
嵯峨野線113系の特徴であった行き先表示装置がLED表示となっていました。
京都駅嵯峨野線ホームの駅名板と一緒に撮ります。
さて、都合3回に分けて紹介してきた阪和線113系電車。
国鉄時代では数少ない地域限定の塗装で新快速ブルーライナーの名残を
とどめる姿が関西から見られなくなるのがさびしい限りですが、
他の線区にうつっても活躍を祈りたいと思います。
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コメント
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今晩は、こちらでははじめましてですね?阪和線113興味深く拝見させていただきました。
小学生の頃、特急・急行に混じり新快速ブルーライナーが走り出し(153系低運転台)
学校の横をモーター音を響かせかけぬけていました(当時:膳所におりました)
机の中には大時刻表が入ってました(笑)乗車することは少なかったですが大好きな
車両でした、そんな車両またその色合いが見れなくなるのはさびしいものですが、
転属しても頑張ってほしいです。阪和線で活躍の頃(つい最近まで)が拝見でき
よかったです(^^)
おでんどうでしたか?こちらは多分来年となりそうです。
投稿: nohohon932 | 2011/12/18 01:43
nohohon932 さん はじめまして。
コメントありがとうございます。こちらこそこれからよろしくお願いいたします。
ブルーライナーは多分乗ったことがあったのかもしれませんが
私には幼すぎて、117系シティーライナーが登場したころからが
私にとっても鉄道趣味の原点です。
ブルーライナーも当時でしたら画期的な色つかいの電車であった
のでしょうね。大鉄局と天鉄局の熱意がこもっているように思えます。
他の地域に行ってもしばらくは見にまとうこの塗装で頑張ってほしいです。
あとおでん電車は今年も大変楽しい電車になっています。
記事にしてありますのでまたご覧ください。
投稿: たけひろ | 2011/12/18 17:14