京阪石坂線の駅跡をたずねる(その3)浜大津から錦織へ
テキサス大学図書館の地図を頼りにして京阪大津線の
駅跡をたずねて紹介している記事。
その3では京阪石坂線浜大津から近江神宮前駅の間を
たどっていきます。
テキサス大学図書館の地図では石坂線南滋賀駅辺りが
地図上の北限となっています。
よろしければ続きをどうぞ
今回の記事では石坂線
浜大津-三井寺-別所-皇子山-近江神宮前駅という区間を
眺めていきます。
K特急運転時代の車内で掲示の路線案内図
戦前の京阪電車路線案内図の中で
今回たずねていく部分をトリミングしてみます。
浜大津を出ると
浜大津-三井寺-兵営前-山上-漣-錦織という駅名が見えます。
この辺りが今回の訪れる場所です。
さて、毎度お世話になるテキサス大学図書館が
公開していただいている米国陸軍地図局作成の地図。
Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
取り上げていく箇所の部分を見て行きます。
江若鉄道の路線に強く惹かれますが、今回は京阪電車の
路線をたどります。
浜大津から山上駅までの地図です。
2010年概ね同じところのgoogleマップです。
準備が整ったところで
カメラを持って沿線へ出かけます。
出発は浜大津駅。
この時代の地図や路線図にすら出てこないのですが
浜大津から三井寺駅の間に川口という駅があったそうです。
今での桜並木のある公園があり、川口公園という名前であること
旧川口町という石碑もあることから、駅はこの辺りかなと思います。
三井寺駅は、ずっと変わらず同じところにあります。
三井寺駅を過ぎて線路の方角が西から北へカーブしていく辺りに
兵営前駅がありました。
これは、この辺りに日本陸軍の施設があったことによるもので、
大津市歴史博物館の企画展「戦争と市民」(・・・いつも参考させていただいています)
の冊子などで詳しく紹介されています。
戦争が終わったとはアメリカ軍が進駐し、その後返還されて今では
大津商業高校や大津市役所、陸上競技場に生まれ変わりました。
兵営前という駅も戦時中には別所という駅に名称が変わっています
兵営前駅から山上駅までの地図です。
Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
今の様子です。
三井寺8号という名前の踏切りから旧兵営前(別所)駅ホームを
望んだところです。
兵営前駅の坂本方面いきホームが今でも残っています。
大津市役所の移転に伴い、この別所駅は皇子山方へ移転して
現在の別所駅があります。
ただ、別所駅の名残として京阪バスのバス停留所は「別所」という
停留所で、駅跡の向かいにあります。
ここから線路沿いを歩いて今の別所駅へ向かいます。
別所駅近くにある現在地を示す地図です。
今の別所駅に隣接している京阪バスの停留所は
その名前もずばり「市役所前」です。
ここからさらに進んでいって山上駅跡を探します。
実のところ、山上駅という存在を私は知りませんでした。
旧皇子山駅の名称が変わった駅だろうと思っていましたが
地図を見るとどうも、位置が違います。
別所駅にてしばらくの間、
別所駅にある住居地図とプリントアウトしてきた
米国陸軍地図局の地図を見比べます。
地図の上で水色の波線が表現されているところがあり
なんとなく皇子山球場の脇を今の地図でも水路が
ありそうなこと、
皇子山中学校とアメリカ陸軍地図の学校の位置、
こんな2つの手がかりを基にして、別所駅から歩いていきます。
違う視点を持っている別のこと気がつくもので、京阪バスの停留所。
「山上町」というバス停がありました。
さて、手がかりの一つした水路。
桜並木の下のこの用水路かな?どうも自信がありません。
皇子山中学校のところから想像するに、米国陸軍地図に相当
するような道路、踏み切りは「皇子山球場前」しかありません。
その踏切りから見た京阪石坂線。
こんな急勾配上に駅があったのかなとちょっと疑問です。
山上駅が移転して開業した皇子山駅。ふたたび移転しました。
旧皇子山駅付近を通過する700形705-706号車。
ついこの間に移転したような気がする皇子山駅です。
山上駅から錦織駅までの部分拡大です。
Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
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地図の上では、山上駅の次は錦織駅となっていますが、
その間に路線図では「漣」駅が存在しています。
架線柱のプレートです。
駅があった気配のかけらも今となっていはありませんが、
わずかに踏み切りにその名前を残しています。
漣駅を過ぎると、
地図めぐりも坂本方では終わりに近づいてきました。
錦織駅、今の近江神宮前駅です。
Japan City Plans 1:12,500 U.S. Army Map Service, 1945-1946
Otsu and Seta <出典:University of Texas Libraries>
元の大きな地図で見る
京阪電車の錦織車庫があっさりと省略されています。
ちょっとがっかりしました。
さて、ここまで随分と手がかりとなってきた京阪バスの停留所。
近江神宮前駅の近くにあるバス停は「錦織町」です。
だんだんと昔の駅が分からない事が多くなってきました。
テキサス大学図書館の米国陸軍地図を題材にした
京阪大津線の駅跡めぐり、今度は浜大津から石山へ
むかうことでいったん京阪電車編は完結したいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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コメント
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皇子山総合運動公園のテニスコート裏付近に
山上駅のホーム跡らしきコンクリ構造物がありますよ。
現在、石坂線は小さな鉄橋で水路を渡っているのですが
その水路は後年に作られたもので、山上駅があった頃には
駅へ繋がる道だった事が国土地理院の航空写真で確認できますし
もう一つの廃止駅である「漣」駅が「京阪大津京」駅と
ほぼ同じような位置にあったらしいことも確認できます。
投稿: くろがね みちゆき | 2020/11/05 14:03
くろがねさま
コメントありがとうございます。
山上駅の情報ありがとうございます。数年前の台風災害で大きな影響が出た水路が
駅へのアプローチ道であったとは想像外でした。
また現地を見てみようと思います。
投稿: たけひろ | 2020/11/08 14:37